遺伝と周辺環境
人は自分一人で学び、自分一人で成長するわけではない。
「遺伝」と、「幼少時から10歳前後くらいまでの家族や周辺環境」、この2つはとても強くその人というものの基本を構成し、その後の人生にずっと影響を及ぼし続けると感じている。
そしてずっと今でも不思議でしょうがないことのひとつに、「なぜ、義務教育のプログラムの中に、『賢く子供を育てる方法』や、『良い家族関係の具体的な構築方法と、具体事例』がないのか」、というのが自分の中にはある。
人という種全体で考えれば、人は結局の所、人を産み、育てなければならない。それが第一原則だ。
個人だけ見れば中には産めない人もいるだろうが、人という生物を全体で見れば、次の世代を産み育てなければならない。当たり前の話だ。そうしなければ人類は滅んでしまう。
この先(10年以上先の事になると思うが)、「子供を産む資格」と、「子供を産み育てなければならない義務」というものが法律として制定されるのではないかと考える。
ある一定以上の条件をクリアした者しか産む資格を得られず、更に高度な多くの条件をクリアしている者達は「子供を産んで育てなければならない」というものだ。
感情論が大手を振って闊歩しているような現代においては、このような考えは袋叩きに合うことは目に見えているが、人という生物が地球上で生きながらえていくためには必要な方向性として考えられる道筋ではあると、大真面目にそう思っている。
食糧問題、資源量問題、人口問題、そして遺伝子的にも生物的にも社会構造的にも、より優秀な形質を築き上げていかなければならないということ。マイナスのスパイラルで落ちていくようなことがあってはならないということ。
ただ人口が増えればそれでよしと思えた一昔前とはもう違う次元で考慮していかなければならない状況がすでに来ているというのに、自分の目の前にないというだけで、多くの富裕層は目の前にあるごちそうを食うことばかりにうつつを抜かし続けている。そのことも私の大きな疑問のうちのひとつだ。