正しくぶつかり合う


人の気持ちを強く動かせる人はすごいといつも感動する。
それが例えドラマや映画の中の話であっても、もちろん現実であっても。

自分の周りだけではないとは思うのだが、私が生きてきた子供の頃からずっと「人と真正面を向いて正しく話をし合う、正しくぶつかり合う」という人間関係を私はほぼ見たことがない。
皆そこまで誰かと正面を切って正しくぶつかって話をし合うことがない。
もっともっと薄い関係だ。
表面上はおとなしくてただ礼儀正しいだけの関係だ。
家族でさえそうだ。

「正しくぶつかって話をし合う」というのは、クチゲンカではない。
相手がこのことについてもう我慢の限界だと訴えているのに、違う話しに持っていこうとしたり、ウソをついたり、挙げ句の果てには過去の話を蒸し返して攻め始めたりして、「攻められているかわいそうな自分」をその場からどう逃がすかということしか見えない人達。
現実にはそんな人ばかりだ。

なので私は「正しくぶつかって話をし合う」人をほぼ見たことがない。
私が子供の頃からずっと生き続けて見てきた様々な環境がすべて特別に偏っているとは思えない。
いや確かに私の家族はそういう部分では特殊なのかもしれないが、しかしそれ以外の場所でもほぼ見たことがないのだから、やはりそれほど私の家族も特殊ではないのだろうと確率から考えるとそう思う。

正しくぶつかり合って話をする人がこれほど少ないのだから、当然ながら人とぶつかり合って正しく話ができる人は少ないだろう。
人を強く動かせる人も少ないだろう。
正しくぶつかって話ができないし、相手もそれに対して正しく応じることができないのだから。

ほとんどの多くの人は、他人と(例え言葉だけであっても)ぶつかることを避けている。
多くの人が正しく真剣に話をし合う、ということをしない。
ウソをついたり、話を変えたり、ねじ曲げたり、言葉尻を捕まえて別な方向に持っていったりそんなのばかりだ。
そんなのばかりで正しく話をし合える人間が増えるはずがない。
むしろ減っていくし、誰もそれが正しいことだなんて分からなくなるし忘れてしまう。
むしろそれをやってはいけない悪いことだなんて言う人まで出て来るだろう。

それでは人の気持ちを強く動かすことなどできない。
正しく話をし合って、正しくぶつかり合って、それでもちゃんと話ができる人は絶対に育たない。

皆表面上は礼儀正しいけれど、頭の中では他人に対する不満をずっといくつも我慢し続けて頭の中では文句を言い続けているような状態で、実際には他人とは薄いつながりの、散り散りバラバラのままのただの赤の他人のままでしか生きられない人間ばかりの世界になる。
当然だ。