宗教の役割について


 宗教の役割についてふと思ったこと。
 ただの私見であり、膨大な役割のほんの一部についてふと思ったことをメモとして書き記す、ので後からこの考えが変わる可能性もあるということも含んでいる。

 愛しあう者同士の片方が突然死んでしまった。
 この時、まだ生きている側の人間が「人というものはその形、肉体そのものだ」という考え方しか持っていなければ、長い人類の歴史の中で何兆人以上の人間が私が想像し得ないほどのあらゆる状況の中で生まれ育ち死んでいったそんな中には「死んでしまったけれど絶対手放したくない!肉が腐ろうとも、虫が湧こうとも、ずっと一緒に居たいんだ!」という人が居てもおかしくはないだろう。
 人によってはその肉を食べることによって一体になろうとしたかもしれない。

 「肉体と魂は別のもので、死んだ後に分離して、魂は別に存在する」という考え方が広まらなければ、現代社会のようにこうもあっさりと多くの人が愛する人の死体を火葬することは難しかったのではないかと思える。

 肉体がその人そのものであるという考えしかなければ「焼くなんてとんでもない!焼く熱さで更に苦しめるつもりか!」と思うだろう。
 土葬や水葬の慣習がいまだに多くの国で残っているのはそういった感情的な思いがまだ強く残っているからだと思う。

 宗教は「まだ生きている人が、この先ちゃんと生きられるようにするために必要だった」から生まれてきたのかもしれない。
 衛生面、精神面、そういった面で「まだ生きている人間がこの先も生きていけるように」必要な手段・発想・方法なのではないだろうか。



無宗教化が蔓延する現代日本では、まさにその再来が一部では起こっているように見える。
それは、「墓で眠っている」という言葉があるが、それをその言葉通り受け取っている人が見受けられるということ。
「死んだら人は墓の下で眠る。死んだらみんなそこに行く。いかなくちゃならない。」そういう風に真面目に、その言葉をそのまま思い込んでいる人がいるということ。

これはたしかに、宗教が「魂」という「肉体とは別の存在」を説かなければ、そう思ってしまっても不思議はない。
「人とは肉体そのものである」と。

しかしこの考えは様々な不幸をもたらす。
死んだ人の肉体を手放したくない人も出て来てしまう。
死んだ人の肉体を家の中に置いておいたらどんなことが起こるか。
普通なら想像もしたくないだろう。
しかしそれでも目の前から消えてなくなられるよりずっと良い、と完全に精神的に依存してしまっている人はそれさえも麻痺させてしまう。
自分で自分を麻痺させてしまう。

社会的なつながりが比較的多い若い内はそれでも周囲が早い内に気付くので、解決も早いと思うが、これが60歳70歳以上となってくると話が変わってくる。
子供や親戚のつながりがあれば良いが、子供もおらず、友人知人近所付き合いが希薄であったら、どうなるか。

宗教が重要だと言うつもりは全くない。
ただ、現代日本ではこういうことも起こりつつある、ということを言っているだけだ。