最近の人々の感情的発言傾向
最近の人々の感情的発言傾向を見ていると、「この先、高性能なロボットが人の生活の周りに共存できるようになってきても、『感情移入せずに済むデザイン』、『いかにも機械』、といった風情のデザインの必要性が高くなるのではないか」と思える。
なぜなら、「その中身が何であろうと、外見デザインやその動作が感情移入しやすい物体であれば、人はそれに対して強い感情的依存性を発揮する」からだ。
これは生産者側が単純に「親しみやすいデザインにして多くの人に気に入ってもらってたくさん売って儲けよう」などという発想で製造するであろうことは明白であるが、だがしかし購入者側はそんなに冷静ではないからだ。
この問題はこれから先、高性能な人間や動物そっくりのロボットが安価に購入できるようになれば、その大量生産性と廃棄しなければならない年数が訪れた時に大きな問題となるだろう。
人の感情、思い、とは客観的に第三者が見ている以上に恐ろしく厄介なものだから。
言い方を変えれば強烈な脳内物質依存症であるとも言えるが、これはそもそも生まれつき持たされている生き物としての重要な根幹的基本機能であるので、人はこれを捨てることはできない。すなわち「デザインを規制するしか無い」という結論に至るのではないか、というのがこの話の要点である。