都合の良い枠(わく)
■人種差別
■セクハラ
■宗教弾圧
■etc
結局のところ、こういうのは「何を理由にしているか」の違いであって、根本的な問題は「他人に対して嫌がらせをしている」「ひどい仕打ちをしている」ことだ。
「誰が、誰に」ひどい仕打ちをしたか。
これによってそれは「人種差別」として取り上げられたり、「セクハラ」として扱われたり。
しかしながら本当の原因や理由は何か。
これが有耶無耶になったり、すり替えられたり、誤魔化されたりはしていないか。
「こいつはすごくいい奴だ。とても親切にしてくれるし、賢いし、いつも助けてくれる。だからといって威張り散らしたり、嫌味を言うこともない。とてもいい奴だ。だけどアジア人だからオレは差別する。」なんてことは、まずほぼ起こらない。
たいていの場合は何らかの理由で相手を刺激しすぎていることが原因。
例えばそれが宗教的理由で、朝から晩まで深夜であっても決められたルールによってどこに居ようとも常に持ち歩きそのタイミングで大きな音でラッパを吹かなければならない、なんてのがあれば、そのタイミングで周囲にいる人にとってはとても迷惑なことだ。
そういう風に「たいていの場合は何らかの理由で相手を刺激しすぎていることが原因」だろう。
完全にこの世から対立や争いをなくすことは無理だ。
それはそうだろう。
だが、もっと減らすことはできるはずだ。
そのためにも、
①原因・理由を単純化して枠に入れてしまってはダメ
②理解すること、妥協すること、相手に迷惑にならないように心掛けること
これらができていない。
大枠にはめ込まず、ちゃんと理解することから始めなければ良くはならない。
相手に迷惑にならないように心掛けなければ良くはならない。
「最近の若者は」とか、
「団塊世代は」とか、
「ゆとり世代」とか、
どうしてそう、実際はありもしない「枠」に当てはめようとするのか。
その世代だからってその世代の人全てに完全に当てはまる条件などないのに。
そういう分類をしてしまうことで対立性が強まることにこそ気を使うべきなのに、それをわかろうとしない人は多い。
いまだに多い。
「そういう単純分類こそが一番の大きな問題である」ことに気づくべきである。