子供って自分でルールを作って「それに従う、それを守る」というのが好きだよね。
わざわざ自分の行動を自分で制限するようなルールを作って、その狭い範囲にいようとする。
なぜだろうね、不思議。
それを無理に守ろうとすると、一般社会上のルールと相反したりぶつかったりして、どちらかを破らなければならなくなったり、(後から考えれば)守れるはずのないルールを自分で作ってしまったために葛藤が起きたり、親や兄弟姉妹、先生、友達などから(必要なこと、常識的なこと、当たり前のことを)言われても(自分が作ってしまったルールに無理に従おうとして)感情的な言葉で拒否したり、なぜそうしないのか問われても(自分ルールだからと言うのが恥ずかしいことだと自覚しているからこそ)理由を言わず、感情的になるばかり、ということになったりもする。
後になってみれば、なぜ自分はあんなに怒っていたのか、感情的になっていたのか、と思う人も多い。
(無理な自分ルールを作ってそれを守ろうとしたから、と明確に自覚できないことも多いため)
なぜそんなことをするのか。
理由がわかった。
子供が(楽しそうな遊びをするために)最初に覚える、覚えなければならないことは「遊びのルールを覚えること」だから。
遊び(のルール)とは「いくつかの、してはいけない、こういうときはこうしてもいい」という行動を限定・制限される共通ルールをその場の皆が共有し、ルールによって限定された内側でみなが試行錯誤し、行動・実行することで初めて成立する。
そしてそれが「楽しい遊び」だった。子供の頃はそういう遊びの種類(ルール)をいくつも覚え、何回も実行する。
だから子供は自分ルールを作りたがる。
そしてそれを自分が仲間だと思える(年齢やグループなどで限定された)者達だけで共有することで、仲間意識を強化し、それ以外の者との差別化を図ろうとする。
しかしながらそれを自覚しているかどうか。
ほとんどの人は自覚していない。
自分自身もそうだった。
そしてそれを自覚しないまま、自分ルールを作り、それを守り続けようとしたまま年を重ねてしまうと、その中から少数だが「社会不適合者」となってしまう。
ほとんどの人は「自分が暮らしていくためにはそんな細かいことにこだわるよりも(自分ルールなど捨ててしまって)必要なことを実行していくことが重要だ」と結論づけるから「一般的な社会のルール」を実行していくようになる。
いつの間にか作ってしまった自分ルールを捨てると「楽になった」と感じる人も少なくない。意外と「自覚せずに大人になってしまった人」は多い。
自分ルールを作るという行為は「子供の頃に楽しい(いくつもの)遊びをするためにそのルールを覚えなければならなかった」というところに原点があるのではないか。
ルールというのは行動を制限すること。
そのルールの中で試行錯誤すること。
子供の頃の遊びはすべて最初にルールを覚えることだった。
そしてそれが楽しいことだった。
原点はココなのではないか。
もちろん大人でも何らかの理由があって自分ルールを作ってる場合もあるが「子供が積極的に自分ルールを作り、それを意地になって守りたがる行為は上記が原点ではないか」と気付いたのだがどうだろうか。