友達や知り合いが居ないということは
友達や知り合いが居ないということは、
情報の比較ができないということ。
ネット、SNS、TV、そういった情報源はあるけれども、
リアルタイムで自分が今居る場所のローカルな細かい情報は得られない。
自分の外側から自分を見てくれて、何かおかしいということに気付いてくれる人も居ないということ。
自分ではしっかりしているつもりでも足がふらついていたり、注意が散漫になっていて荷物をさっきまで居た場所に置いてきてしまっていたりしたことはないだろうか。
人間はほとんどの場合自分自身で自分のおかしい部分に気付けるのだが、やはりどうしても気付けない場合もある。
そういった時に誰一人自分を気遣ってくれる人が居ないと、どういう事態になるか。
若い間はいい。
多少の無理はできるし、すぐ回復するし、ほとんどの場合家族の誰かがすぐそばに居る。
しかしある程度の年齢になると家族とも離れ、経済的にも距離的にも離れてほぼ完全に一人で暮らしている人も少なくない。
職場に通っていても、みなが仲間であるわけではない。
むしろ職種によっては周囲はみな仲間の振りはしているけれど敵みたいなものといった環境もある。
実はつらくてもかなり無理をしてでもやらなければならないタイミングもある。
なので周囲の人は少々具合が悪そうだとわかっていても誰も何も言ってこない。
これは私の実体験でもある。
明らかにかなり具合が悪い状態であっても、誰も、誰一人声を掛けて来ないものなのだなと具合が悪いのに不思議に思ったことを今でもはっきりと覚えている。
友人や知人がいないというのは、第三者目線で自分を見て「あれ?おかしいな」と気付いて「声を掛けてきてくれる人が居ない」ということだ。
自分自身が気付かなかった異常事態に気付いて、声を掛けてきてくれる人が居ないということだ。
それが怖いと思うのであれば、知らない人とでもうまくある程度仲良くなれる人物になることだ。
それがその怖さをうまく回避するための一番の近道だからだ。
そうすることでお互いにそれを回避できるのだ。
知っている人にとってはとても当たり前のことなのに、現代人の多くはそれを忘れてしまっている。
お互いのために必要なことなのに、それがまるで何かズルい方法でもあるかのような言い方をする人が居る。
が、それは違う。
お互いのために必要で、実は一番簡単で、とても良い方法なのだ。