「する」「される」
なぜ最近「する」「される」を正しく使えない人が多いのか。
メーカーの広報用の文章でさえ間違えているのを時々見かける。
「AがTシャツのデザインを作製する」
「AによってTシャツのデザインが作製される」
「間違った制作方法でデザインしたもの」
「間違った制作方法でデザインされたもの」
客によってデザインされた「もの」について話をしているのであって、「自分がデザインしたもの」の話をしているわけではないのだから、「されたもの」と言わなければおかしい。
一昔前に比べるとPCとインターネットの普及によって、自分が書いた文章をとても多くの人の目にさらす機会が増えた。
それ以前はこれほど簡単に自分が書いた文章が今ほどお手軽に、瞬時に、多くの人の目にさらされる機会などなかった。
新聞、雑誌、印刷された本、公共の目にさらされる前に制作に関わる複数のプロの目を通った後、やっとそういう印刷物として完成した後に、公共の多くの人の目に入った。(それでさえも誤字・誤植などがその後に見つかったりすることもある)
現代はそういう工程を経ずに、いきなり直で、瞬時に公共の目にさらすことが可能になってしまった。
今は個人の国語力レベルがそのままさらされてしまう。
メーカーであれば担当者だけに任せていてはいけない。
必ず2人以上に内容を読んでもらって確認するべきだ。
それができていないメーカーはそういう仕事しかできないと見られても仕方がない。