バカな大人が増えたわけではない
昔から大人のほとんどは賢くはない。
子供の間は「大人になったらわかるよ」などと言われたりして、いつの間にか大人になったら自動的に賢くなれるのだなどと無意識のうちに思い込みがちだ。
しかしながら実際はそんなことは有り得ない。
子供の間は「大人は大きくて強くて賢いんだ」と思い続けていたものだから、しばらくはそう思い込んでしまっていた自分に気付けなかったりする。
技術が進歩して誰もが簡単に全世界に向けて発信できるようになり、多くの一般人の声が耳に入るようになった。目にするようになった。
しかし若い頃頭が良くなかった人間が年を重ねたからといって自動的に賢くなったりはしないわけで、この時代、目に入ってくる多くの発言もそのほとんどがそういう人達の発言になってしまうのは当然のことだ。
そんな中で「内容を信じ込ませるためにわざと歪ませられ間違った倫理感を広めようとする悪質な内容の記事」が堂々とニュースとして流され、多くの頭の良くない(内容のおかしさに気付けない)一般の大人たちの声によってその内容が支持されたりしている。
なぜそんな内容が支持されたりするのか。
間違っていることに気付けない。
必要な情報がわざと隠されていることに気付けない。
自分の好みの幻想に合致する部分しか見えていない。見ようとしない。
少し視点を変えて見てみればわかることなのに見ようとしない。
平等や人権や差別といった部分ばかり重要視しすぎて、感情を誘導されてしまっていることに気付けない。
そうして誘導された感情のままその内容を支持する発言をしてそのままにしてしまうものだから、たくさんの支持している声で、その内容が多くの人に支持されて正しいことであるかのように持ち上げられてしまう結果になる。
例えその時感情的に支持したけれども後になってその内容がおかしい、自分が支持したことが間違っていたと気付いても「やはり間違っていました」などと訂正して発言し直す人はほぼいないし、訂正削除修正する機能も付いていない。
発言してしまったらそれはずっと残る(残されてしまう)のだ。
それにほとんどの人は「自分がそれは正しい」と一度言ってしまったことはずっと正しいのだと言い続けたがる。
「ごめんなさい。私の発言が間違っていました。」
と言える人は意外にも少ない。
そういった人達によって歪な倫理観が少しずつ広がりつつあるように見える。
難しい大学を卒業した人だからといって、倫理的に正しいことが出来る人だとは限らない。
人が年を重ねたところで自動的に賢くなったりはしない。
今あるその言葉(単語)が本来の内容や意味を正しく言い表せないにも関わらず、そのことに気付けないまま曖昧で大雑把な幻想を信じてしまう人の方が圧倒的に多い。
大人の多くは賢くはない。
技術の進歩によってたくさんの声を目にできるようになったけれど、それが年齢として大人の声であろうとも、その声の内容の正しさを相手の年齢で判断してはいけない。
頭の良くない大人が増えたわけではない。
もともと数のバランスがそうであったそのままが目に見えるようになっただけだ。
年を重ねたって自動的に賢くなるわけではない。