同じ言葉を話していない


同じ言葉を話していない。

別言語の話ではない。
方言の話でもない。
同じ国の、同じ言語なのに、人は同じ言葉を話していない。
同じ言葉を話せない。

人はそれぞれ理解力が違う。
同じ言語で話をしていても、理解できるはずの単語だけを使っていても、それまで積み上げてきた経験と知識によって人は話すわけだから、その過程で誤解や勘違いや理解の深度の違いによって、話せる内容が違う。
同じ話を聞いても、理解できる深さも違ってしまう。

それが経験の積み重ねとして何回も繰り返されるわけだから、ますますその差が大きく開いてゆくことは言うまでもない。

お互いがわかるはずの言葉を使って話をしているのに、1つも難しい単語を使っていないのに話が通じないことがある。
わざとわからない振りをしたり、どちらかが話をそらしたりしているわけでもないのに。



同じ物を見たはずなのに、興味がないから見ていない、覚えていない、どこに着目して見るべきかわからないからただボーッと見ていた。

興味がないから聞いてはいたけど覚えていない、何が重要なのかもわからない。

その差、その経験の積み重ね、それらの繰り返しによって、人はそれぞれ自分の中に持っている物がとてもとても大きく違ってくることになる。

だったら興味を持てばいい。
なんて言葉で言うほど単純ではない。
難しい数式を早口でまくし立てられて興味を持って聞ける人がどれほどいるだろうか。
それをちゃんと聞き取った上で話ができる人がどれほどいるだろうか。

つまり興味を持つことは重要だ。
けれど、興味を持つようになる要因は何なのか。
最初にそういうジャンルに興味を持たせてくれたのは何だったのか。
何が大きな要因になっているのか、なったのか。
なぜその人はそれに興味を持てるようになったのか。
なぜ自分はこれには興味がないのに、これには興味があるのか。
そこが重要なポイントだ。
そこをもっと広く深く学術的に研究して、教育に生かしていくことが重要だろう。

人は興味を持っていることに関しては夢中になって吸収しようとするのだから。