人では居られない世界


科学技術が進歩すればするほど、人はそれまでの人では居られなくなるようだ。

科学技術が進歩し続けられる環境は、つまり多くの人が生きることそのものの心配をせずに済む環境でもある。

食べるもの、眠る場所、すぐに治療をしてもらえる施設、教育、ある程度以上の身の安全が保証された環境、それらすべてが揃い、それらがかなり長い期間続いているという証拠だ。

そんな状態が長く続く社会では、新たな問題が出現し始める。

低賃金の職種職場であればあるほど逆に高効率化を求められ、あれをしてはいけないこれをしてはいけないトイレの回数まで制限され、いくつかの違反が重なるとペナルティが設けられ、給料を減らされたり1日ただ働きをさせられたりすることが横行するだろう。

残業をするな、有休を取れと口では言いながら、一方で実際にはそれができない状況を作り出し維持するようになるだろう。
就業時間内にそれがちゃんとできる人もいるのだから、それをできないのは個人の怠慢であって職場環境の問題ではないと言うだろう。
「それができるレベル」という基準そのものを常に最高レベルに引き上げ続け、尋常ではない高効率化を押し付け続けるようになるだろう。今までで一番優秀な人材がたまたま達成できたような、そういったレベルを基準にして「できないのは個人の怠慢だ」と言うだろう。

人はロボットではない。機械ではない。
にもかかわらず低賃金の職場ほど高効率化を求められる余り、人の自由をとことんまで奪ってまるで機械やロボットと同じ精度を求められ続けるようになるだろう。
すでにそうなってしまっている職場も少なくないという話も耳にする。

そしてそういった労働環境の話だけでなく、

人の持つ暴力性、暴力衝動、感情の暴発、そういったものはすべて排除されるべき対象になる。
大きな声を出さず、感情的にならず、イライラせず、ずっと沈着冷静で居ることこそが求められ、当然の常識となる。
建設的で、無駄がなく、無意味な行動をせず、他人が求める何かを創出することができる人がもっとも求められる。その上そうやって表舞台に出た人に対しては、聖人君子、あるいはヒーローであることすら求められる。
何事に対しても聖人で居なければならないのだ。

人は「冷静で誰かに何かを与えられるヒーロー」であることを求められる。

人はまるで作り物のヒーローであるかのような虚像を強く求められる。

きれいすぎるストーリーを求められる。

何事に対しても完璧な答えを出せる完璧なヒーローであることを求められる。

そうしてそれらを求める思いが広く強く浸透していき、心象(イメージ)格差(ギャップ)を産み出す。
そしていつの間にか心象階級(イメージギャップから産まれたレベル付け)が浸透してしまっていることだろう。
目に見える形で、人々は口に出してそれは当たり前のことだと言い始めるだろう。
そうなってしまったらもう止まらない。

一方では、「まるで人間とは思えないほど沈着冷静なロボットのようにきれいで完璧なヒーロー」を求め、その一方では何か理由を見つけて(ハメテ作り出して)は誰かを叩いて、ボロクソにこき下ろす、そういう両極端な世界。

人は、それまでのような人では居られない世界。