人として設計されている


人そのものは人として設計されている。

自分だけで自己完結しないようになっている。

お腹が空く。
喉が渇く。
寂しい。
肉体的快楽の欲求。
好奇心。

肉体的基礎構造も決まっている。
人が感知できる範囲もほぼ決まっている。
精神や気持ちを内側から強くプッシュする衝動や時期も肉体の成長度合いに応じて発揮されるように予め備えられている。

ただし完全に同一の個体はないと言ってもいい。
肉体や精神や欲求や衝動など、個々に差異がある。
反応が強すぎる衝動や欲求を発揮してしまう個体として生まれてしまうこともあるだろうし、その逆の場合もあるだろう。

人は物理的で有機物の肉体によって支配されて制限もされている。
脳そのものも有機物であり、肉体の一部であり、壊れやすく、劣化するものだ。
入ってきた信号を処理し、どう対応するか反応するかも脳によって指令が出される。
入→処理→出
この一連の作業の繰り返し。
自分の体がどう動いたか、どういう体勢なのか、瞬時の信号(入)も処理し、次の動作の指令を(出)している。
ほとんど意識はしていないが、体を積極的にコントロールして動かす人はよく知っていることだろう。

人は人という生物の一種類として生まれ生存し繁殖していくための肉体と生物としての原則的なルールに制限されている。
食べなければ生きられない。
生殖行為がなければ繁殖はできない。
その生殖行為を促すための機能として快楽反応が用意されている。
集団で生活することを促すために寂しいと感じるようになっている。
所詮は人も生物の一種でしかない。
しかし多くの人は、人だけはとても特別な存在だと思い込んでいる。
他の生物とはまったく別の(大げさにわかりやすく言えば)独立したとても優秀な神のような存在だと思い込んでいる。
まちがっている。
人間は生物の一種でしかない。
どんなに努力しても人が人の枠から飛び出ることはできない。
なぜなら人という定義そのものが人を人という枠に押しとどめているからだ。
それは人の倫理観と呼ばれている。

人は人であることを捨てない限り、人以上の存在にはなり得ない。
人は所詮ただの生物の一種だ。